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中村有里ちゃんは1年9カ月を
脳死患者として生き、逝った

「今も私の手は娘の体温を覚えています。
脳死は絶対に人の死ではありません」

実体験をもとに、母・暁美さんは強く訴える
中村有里ちゃん(東京都、当時2歳8カ月)は2005年12月、カゼによる急性脳症が元で、脳死状態となった。当初の危機的な状況を脱した有里ちゃんは、家族の深い愛情と看護、医師・看護士らの献身的な治療努力に守られ、成長を続けた。家族は有里ちゃんの在宅看護をめざし、そのための新しい家も新築した。 ▶07年の本紙報道記事
 しかし、退院と在宅看護開始をわずか1カ月後に控えた07年9月24日、有里ちゃんは容態が急変。天国へと旅立った。今、母・暁美(あけみ)さんは、1年9カ月間、有里ちゃんを看護した実体験を元に、「脳死は絶対に人の死ではありません。重病で臓器移植を待つ子供の命も、脳死状態の子供の命も平等なはずです。脳死臓器移植には絶対反対です」と、改めて訴え続けている。
(2009年5月10日、大阪市内で開かれた『臓器移植を問う市民れんぞく講座 長期「脳死」のこどもたち
…それでも娘は生きていた』=主催:「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会=から要旨)
中村暁美さん
大阪市内で講演する中村暁美さん

私が一番伝えたい、「脳死は人の死ではない」と実感した体験をお話しさせていただきます。

2007年9月23日、脳死状態で入院中の有里は4歳5カ月でした。その日の夕方、急変を知らせるアラームが突然、鳴り響いたのです。娘の心拍が急激に上がり、そしてあっという間に下がってしまったのです。器械の故障かと錯覚するほどの変化でした。病棟にいる医師や看護士たちが急いで駆けつけ、処置が始まりました。何が起こったのか理解ができませんでした。
 脳死と宣告されてから1年9カ月間、ほぼ安定した状態の娘だったので、「たかが一度このような状態に陥っただけで、有里は絶対に死なない、死ぬはずがない、大丈夫」そう信じていました。

奇跡を信じ続けた〝家族愛〟

 しかし、私の思いとは裏腹に、現実はとても厳しいものでした。医師が娘の小さい体の上に馬乗りになり、心臓マッサージをしていました。自分の力で動き続けてくれている大事な大事な心臓なのに、大丈夫なのだろうか? ベットのきしむ音がやたらに大きく感じました。
 急性期の時に入っていた24時間完全看護の重症児部屋へと移され、3、4時間経ったころ、なんとか落ち着いた状態になり、私たち家族は一旦自宅に帰ることとなりました。
「有里、よくがんばったね。明日はいつもより早く来るからね。今日はゆっくり休んでね。お休み有里ちゃん」。そう約束して家に帰りました。もし病院から連絡が入ってもすぐに出られるよう、私服のまま、床につきました。
 でも、何か胸騒ぎがして、眠れず、電話の前で時を過ごしました。
夜中の2時30分、電話が鳴り、また先ほどと同じ状態になってしまったとのこと。「できるかぎり早く来てください」という看護士の震える声に、今度こそ深刻な状態なのだと悟りました。病院に駆けつけるとまた同じ光景がひろがっていて、電気ショックまで施されておりました。その度に娘の体は飛び上がります。「ここでもう終わりにするべきなのだろうか?」。脳死と宣告されてもあきらめられなかった。何がそうさせるのでしょうか? きっとそれは奇跡を信じ続けた「家族愛」だと私は、思います。「子供の脳死は何が起こるか分からない」と主治医に言われ、たとえその「何かが起こるはずのない奇跡」だとしても、私はずっとずっと願い続け、祈り続けてきました。

かけめぐる思い

 しかし、このような状態では、もうそれも主人や私のわがままなのかもしれません。でも、まだ大事な娘との永遠の別れを選ぶことができず、「もう結構です」と言えませんでした。
 主治医も、誰も何も言わず、無言のまま。同じ動きの繰り返し。その中に家族が身を置き、ただひたすら願い続けていました。「どうか、神さま、もう少しだけ、せめて一カ月後、家に連れて帰る日まで時間を与えてください」。頭の中をぐるぐるといろいろな思いがかけめぐりました。
 でも、「けいれんを起こしたあの日の有里の顔も、今のこの顔も忘れない。いつも有里は笑っている。この笑顔は一生家族のかけがえのない宝物。そっと大事に記憶の中にしまっておこう」。不思議なことに私がそう思うと間もなく、主治医に呼ばれました。
 「今の有里ちゃんの心臓は残念なことにもう一人では動くことはできません。心臓マッサージの手を止めると心臓も止まってしまいます」。主人が涙をこらえ、やっとの思いで尋ねました。「もう1%でも可能性はないのでしょうか?」。「残念ですが…」。

娘の体の成長に月日の流れ

 ついにこの日が来てしまったのです。もう終わりなんだと思いました。最後に娘を抱かせてほしいと申し出て、祖父母、三人の有里の兄たち、主人、そして私とまだ温かい体を、しっかりとこの腕の中に抱きしめました。しばらくぶりにしっかりと抱く娘の体が成長し、大きくなっていることに、月日の流れを感じました。
 心臓マッサージ、アンビューバック(※手動の小型人工呼吸器)の手を止めると娘の体に変化が現れ、唇の色は紫色に変わりました。体の色は徐々に赤みがなくなっていき、だんだんと冷たくなっていく体。
 今、有里は家族に見守られる中、旅立ってしまったのだ。信じたくないこの現実を、受け入れなければならないのだろうと思いました。
「嘘だろう、有里ちゃんお家に帰るんだろう。信じられない」。傍らで家族とともに号泣していたのは、医師、看護士の方々でした。
 前日の夕方の急変からずっと心臓マッサージをし、アンビューバックを押し続けてくださっていた先生方の手は、ぱんぱんに腫れていたのです。娘の心臓を止めないように、そしてまた戻ってきてくれるよう奇跡を願っていたのは家族だけではなかったのです。
 この病院に転送されてから、この最後の時まで力を尽くしてくださった先生だったからこそ、娘の1年9カ月がありました。私たち家族の思いに常に寄り添ってくださった医師、看護士がいてくださったからこそ、あの日の「絶望」を「希望」に変え、乗り越えてこられたのです。

冷たくなる体に人の死を実感

 私は人が生死のはざまにおかれ、旅立っていく瞬間を看取ったのは、初めてのことでした。ぬくもりのある温かい体から徐々に冷たくなっていく体の変化を見た時、これがまさに「人の死」なのだと確信しました。
 そして、もう一つ確実になったのは、「脳死」と宣告されてからの1年9カ月間、『娘は生きていた』ということです。私はこの両手が、温かい娘の体と、そして冷たくなってしまった娘の体を覚えています。まだ重みを感じています。だからこそ「脳死は死」だとは言えません。「人の死」は心臓が止まり、体が冷たくなって初めて認められるのです。受け入れられるのです。
 1年9カ月の間、私は一度たりとも娘を「死んでいる」と感じたことはありませんでした。とても無理のあることです。天国へ旅立ち、「ご臨終です」と告げられる。その時、初めて遺体となるのです。

かけがえのないお別れの時間

有里の4歳5カ月の短い人生がこの時、終わりを迎えてしまいました。目標としていた在宅看護は夢に終わってしまいましたが、とても有意義な時間を過ごすことができました。娘と私の1年9カ月は、とてもかけがえのない時間でした。これは、とても貴重なお別れの時間だった言えるのではないでしょうか。
 「脳死」と宣告された時に、このお別れが同時に来たとしたら、まず受け入れることはできないでしょう。 「脳死」と宣告されただけで、もうすでに冷静ではいられません。受け入れたくないという拒絶反応が起こります。さらに、そこにある温かく赤みのある、ただ眠っているようにしか見えない我が子を「死」として認めるということは、どんなにつらいことか。むちゃくちゃ過ぎます。
 体験した者でこそ分かる怖さ、つらさだと思うので、私は特に声を大きく訴えたいです。「脳死」状態では「死んでいる」とは認められないということを。

脳死についてもっと正しい理解を

 日本移植ネットワーク作成のリーフレット、「命の贈り物 あなたの意思で助かる命」。そこに、ドナーとされる「長期脳死」のことがどこにも、一行も書かれていません。それはきっと、その一行がとても大きな影響があるからなのではないでしょうか。
 私もそうでしたが、無知ほど怖いものはないと思います。脳死について誤った知識を持つのではなく、私の娘のような子供のことをもっともっと知ってほしいと思います。そして、「脳死となった時、本当にその人は死んでいるのだろうか?」ということを、常識や先入観などを捨てて、真っ白なまま考えてほしいと思います。

移植を待つ子も、脳死状態の子も、その命は平等

会場
大阪での中村さんの講演には多数の市民が来場。実際に重度の障害を持ち人工呼吸器を必要とする子供の親たちも参加していた。臓器移植法が誤った方向に改定され、脳死が〝一律に人の死〟と定義されるようなことになれば、いま脳死状態にある人々は〝死者〟とみなされ、生きる価値を奪われてしまう。脳死臓器移植の推進は倫理的、社会的に大きな問題を生む

蛇足になりますが、娘の告別式には300人以上の方がお別れに来てくださり、みんなが「ありがとう」と涙してくださいました。脳死の娘を見た人、触れた人、1年9カ月を知っている人は、誰一人として「死んでいる子だ」と言う人はいませんでした。
 温かい体を切り裂き、機械の部品のように扱われることに怒りを抱く方ばかりです。
 “移植をすれば治る”とされる子供のことばかりではなく、脳死と言われた子供の命も平等に見つめ、そしてもう一度、尊い命の問題について、慎重に前向きに議論していただきたいと願います。
 “移植を必要とする子供の命”、“ドナーとされる脳死の子供の命”、どちらも平等です。脳死臓器移植は、助かる命の陰で失われる尊い一つの命があることで成り立つことになります。私は絶対反対です。脳死状態を経て最後に心臓死を迎えるまで我が子を看取った私だからこそ、強く言えるのだと思います。これからも私は大事な娘・有里が頑張って生きてくれた1年9カ月のことを語り、伝えていきたいと思います。

 本日は皆さまありがとうございました。

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