2005年、出口紅人類愛善会総裁の発意で、モンゴルの恵まれない子供たちに学用品を贈る「モンゴル児童支援」事業がスタート。同年6月、人類愛善会モンゴルセンター初の教育支援事業として、ウランバートル市にある職業訓練・養護学校で、400人分の学用品の贈呈式が行われた。
この時、人類愛善会モンゴルセンター発足式典と会議に参加した、アジア13分会・17人の会員も同行し、日本・モンゴルの愛善会員とともに子供たちに文房具を手渡した。
その際、「自分たちの国でも児童支援を実施してほしい」との声がアジアの分会代表者から上がった。翌06年、総本部はそうした要望に応え、同様の事業を「 Pencil Boxプロジェクト」として立ち上げ、アジアの海外分会共通の活動に拡大。子供たちへの支援と同時に、事業を通して分会の活動を広げて会員を増やし、自立運営を促すことを狙った。
06年から08年の3カ年をそのプロジェクト期間とし、海外19分会のうちインド、ネパール、スリランカ、バングラデシュなどの10分会が参加。3カ年で述べ約1万セットの文房具を配付。それをきっかけに新規に553人が愛善会員となった。総本部から拠出した愛善基金は200万円だった。
配付した文房具一つ一つに人類愛善会のシンボルマーク「宇宙紋章」を印刷。その意味を子供たちに説明。「世界は一つであり人類は本来兄弟同胞である」ことを教えた。子供たちがこの教えを継承し、将来、世界平和実現のための活動に中心的役割を果たしてくれることを期待している。
この「PencilBoxプロジェクト」や、その他の愛善活動を紹介する、「人類愛善会パネル展」をプラモッド・ギミレ人類愛善会香港連絡所長と企画。2月15日から19日にかけ、中国の香港、深圳、フィリピンで開催した。
15日には深圳市で開催。同市は80年に中国政府から経済特区に指定された。それ以降、人口が増え続け、現在は1200万人。外国人も多く、会場となった南山区・蛇口の会員制クラブ「スネーク・ピット」にも外国人を中心に500人の会員がおり、ギミレ氏も会員。パネル展には同クラブの会員を中心に約50人が来場。来場者の半分は外国人だった。特別な形で外国人を受け入れている経済特区とはいえ、中国本土内で類愛善会の活動を紹介できたことは初めてで、画期的なことだったといえるだろう。
香港でのパネル展。右からプラモッド・ギミレ香港連絡所長、エルダ・リー香港エスペラント協会会長 |
フィリピンの高原都市・バギオでのパネル展示。右から2人目がヴィオレッタさん。左端に筆者 |
16・17の両日は香港のセントラル区にある「クラブ1997」で開催。
この店は、ギミレ所長が以前に勤めていた会社が経営するクラブ。店の名前「1997」は香港が中国に返還された年の1997年に由来する。店は84年から営業しており、香港でも有名な老舗店だ。
両日あわせて約60人が来場。エルダ・リー香港エスペラント協会会長をはじめ、エスペランティストたちが応援にかけつけてくれ、さらにUHA(人類愛善会)あての花輪を届け、会場を彩ってくれた。海外の人類愛善会分会とエスペランティストとの初めてのコラボ(共同作業)が成功したという点でも、大きな一歩であった。
19日はギミレ香港連絡所長夫人のヴィオレッタ・ギミレさんが暮らす、フィリピンのバギオ市で開催。彼女の友人、知人、親族など約40人がパネル展に訪れた。
そして、ヴィオレッタさんを含め3人が人類愛善会に新規に入会。ヴィオレッタさんは「パネル展を通じて、大本・人類愛善会のことが良く理解できました。大きなことはできませんが、エスペラントの学習や、文房具の配付活動など、手の届く範囲でお役に立ちたいです」と抱負を語ってくれた。
人類愛善会マニラ分会(86年〜96年)が解散してから久しいが、ここバギオからフィリピンでの新しい活動の息吹が生まれたことはありがたい。
これまでアジアの各分会が同時期に同じ内容の活動をしたことはなかったが、モンゴル児童支援がきっかけで「Pencil Boxプロジェクト」が生まれ、共通の目標を見定めて、一つの成果を得ることができたのである。
「アジアの精神的和合」という出口王仁三郎初代総裁が抱いた崇高な理想は、85年を経た今、より身近で地道な活動としてアジアの人々に継承され、確実に育まれている。今後はこのパネル展を他の分会でも順番に開催していければと期待している。