主張 Opinio
▣ 死刑廃止に向けて ▣ 復讐を超え遷善悔悟へ
(2007年春11月号)
去る9月25日、鳩山邦夫法務大臣は閣議後の会見で、日本の死刑制度に触れ、「(執行命令書への)法務大臣署名がなくても自動的に死刑執行ができないか、制度を見直したい」と発言。批判の声が広がった。衆参両院の超党派議員で作る「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)も、「人の命を軽んじている」と強く批判した。
10月10日には、人類愛善会も参加している「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク」などの呼びかけで、鳩山発言に抗議する各市民団体が緊急記者会見。同ネットは「人の命を断ち切る死刑の執行指揮に際しては、法相が自己の哲学や倫理観を含め人格的に関わるべき。今回の法相発言には全く同調できない」と抗議した。
そして、『いじめや差別が深刻化し凶悪犯罪の低年齢化が進んでいる昨今、排除の思想に基づいた死刑制度こそ強く批判されるべきで、政府が死刑執行停止に踏み切ることによって、日本のモラルをリードすることを強く願う』と求めた。
人類愛善会は、死刑の執行停止はもとより、廃止を主張している。出口王仁三郎初代総裁はすでに大正年間、「元来、刑法の目的は遷善悔悟にあり、復讐的であってはならない。殺してしまっては改善の余地がなくなる。人を殺したから殺してしまうというのは、復讐的で愛善の精神に背反するもので、実によろしくない」と述べている。
「人類愛善の精神」とは、〝人群万類〟をつつむ愛であり、 人はもちろんのこと、禽獣虫魚、草木石土にいたるまで万物を愛することである。万人がこの精神に立ち帰らないかぎり犯罪はこの世からはなくならない、と初代総裁は説いた。
また、近代刑法の基本理念として、刑罰の目的は「応報」ではなく 「教育」にあるが、死刑は教育による遷善改過の途を閉ざす。
『徳育を忘れて知育におぼれたる報いは地上の乱れとなりけり』(出口王仁三郎)
死刑などの罰則強化による威嚇ではなく、真の教育を通じて、罪を犯さない人格を育成することこそが、安全で平和な社会を実現するために、今、最も必要だ。
一方、被害者遺族の悲しみ、苦しみ、怒りは察してあまりあるものがある。2004年12月10日、世界人権宣言の採択を記念する国際人権デーに、米国で「MVFHR・人権のための殺人被害者遺族の会」というNGO(非政府組織)が設立された。そこには、殺人事件をはじめ、戦争や紛争、テロなどの犠牲者遺族、死刑により家族を失った人などが集い、「人権」の尊重を訴えている。
日本でも今年6月、被害者・加害者間の距離を縮めながら、市民も加わって、犯罪と贖罪について共に考えることを目指す「Ocean—被害者と加害者との出会いを考える会」が発足した。こうした試みは重要だ。
死刑制度に犯罪抑止力はなく、絶対的な人命尊重の理念とも矛盾する。今日、死刑廃止は国際社会の潮流となっている。死刑をどう捉えるかは、国家や社会の精神的成熟度を示す一つの指標だともいわれる。
人類愛善会は、同じ志を持つ諸団体との連携や出版・インターネットなどを通じた広報活動を更に進め、死刑廃止と人類愛善精神を強く社会に訴えていきたい。